フェスの地蔵問題について思うこととその打開策、サマソニの存在意義。

フェス イズ 助け合い。

こんな記事を書いているくらいです。僕はフェスが大好きです。

自分にとって大本命のアーティストはもちろん、

自分が知らないアーティストや自分が知らない楽曲に出会えることこそがフェスの最大の醍醐味です。

サマー・ソニック2019に参加して感じた”地蔵”問題

summer sonic

僕が参加した日のタイムテーブルです。ちなみに大本命のアーティストはThe1975でした。

世界最高峰のバンドThe1975のライブをサマーソニック2019で観た【ライブレポ】

2019年のサマソニ、僕は本当に周りに恵まれていました。

本当にその通りで開催前より心配されていたB’z地蔵なんて僕の周りには姿形もありませんでした。

そこには、音楽を心から楽しむ音楽ファンだけがいました。

サマソニ2019の地蔵

https://twitter.com/owarad_skn/status/1163041383520690176

僕の周りには地蔵と揶揄されるような人は一人もいませんでしたが、やはり各地で地蔵は出現したそうです。本当に悲しい、嘆かわしい、腹立たしいことです。

【地蔵とは】

好きなアーティストを観たいがためにステージ前方を陣取り、他アーティストのライブには無反応で身動きを取らないその様から『地蔵』の呼び名が広まった。地蔵問題が表面化したのは、2013年サマソニのミスチル地蔵問題から。

SNSでは、今回のサマソニでは『B’z地蔵』ばかりが取り上げられていますが、これは単に数の問題だと思います。

B’zは日本人なら誰もが知ってるスーパーグループ。当然ファンの数も桁違いです。

B’zが普段ライブを行うのはドームクラスの大型会場、さらに日本のライブは整理番号制なので間近で見れるかどうかは運でしかありません。

しかし、フェスであれば努力(待ち)次第で最前列を狙えます。

で、あれば、フェスにおいてステージ前方に熱心なファンが集まるのは当然です。
(かく言う僕もthe1975のために最前列にいましたから)

ただ、そこで、

自分の本命以外のアーティストに目もくれないなんてことはあってはならないことだし、それは音楽を侮辱する最低な行為です。

お目当てのアーティストのことだけしか考えずに、他のアーティストやそのファンに敬意を払えない人はフェスにくる資格はないと思っています。

一声でかわる、一声でかえる

例えば僕は、都度場所を代わっていました。

僕はステージやや左側の最前列に朝の10時から夕方の18時まで、The1975のライブのためにその場所を確保していました。

しかし、都度、場所は代わってはいました。

アレキサンドロスのときは、アレキサンドロスのファンに、

YUKIのときはYUKIのファンに

そうやって場所を代わっていました。

もちろんアレキサンドロスもYUKIも観たい気持ちはあります。間違っても地蔵にはなりません。フェスが好きなので。

でも僕なんかよりももっと他に最前列で、アレキサンドロスやYUKIのライブを観るに相応しい人がいます。

アレキサンドロスやYUKIファンの人たちです。

一声かけるだけでいいんです。

僕のちょうど真後ろの人が明らかにアレキサンドロスのファンだったので、開演前に、

「僕はthe1975のためにここにいるので、よければアレキサンドロスのライブ中、場所変わりますよ?」

たったこの一言でいいんです。

そのアレキサンドロスファンの方は、

「ありがとうございます!アレキ終わったらすぐに退散するんで!本当にありがとうございます!!」

と、言ってくれました。

そこから

「いえいえ、僕もアレキはシャンペインのころから好きなんですけど、やっぱり、より好きな人が最前列で見たほうがいいですから!」

「うわぁ!アレキ好きなんですか!それなのにありがとうございます!ちなみに好きな曲はなんですか?」

なんて、話が盛り上がったり。

炎天下のの辛い待ち時間も楽しむことができました。

右斜め後ろにいたB’zファンの方にも、

「僕、B’z前のthe1975が終わったら離れるんで、安心してくださいね」

と、声をかけると

「え!?ほんまに!!ありがとう!ほんまにありがとう!!!お兄ちゃん水いるか?飴は?」

と、返してくれました。

フェスは助け合いです。

一言かけるだけで変わります。

殺伐としたフェスなんて嫌でしょう?

どうせなら楽しみましょう。

自分と違うアーティストが好きだからって敵対視するのはナンセンスです。

地蔵発生は運営側に問題あり?

これはあくまで僕の個人的な意見であり、僕なんかがおこがましい限りですが、地蔵発生はフェスの運営側に問題があるように思えてなりません。

特に今回のサマソニではそれを痛感しました。

タイムテーブル

summer sonic

兼ねてから言われていることですが、サマソニのタイムテーブルやステージ割りは正直いって微妙です。

「フェス=ライブの詰め合わせ」ではありません。

ステージごとにドラマやストーリーがあって、まるでリレーのように、バトンをアーティストからアーティストへ、そしてヘッドライナーに託す一連の流れこそがフェスです。

運営側はその流れをつくるためにもっと真剣に取り組んだ方がいいと感じました。

今回のサマソニのオーシャンステージのタイムテーブルを例に見てみましょう。

日本人初のヘッドライナーとして今年のサマソニの目玉のひとつでもあったB’z。
そしてB’z前には、いまや世界最高峰のロックバンドにまで成長を遂げたThe1975。

この2組のアーティストでは、その音楽性は大きく異なります。
共通の音楽的ルーツはあるのでしょうか?おそらくないでしょう。

アーティストに共通点が無ければ。当然2組のファンの音楽的な趣味嗜好も大きく異なります。

さらにB’zはデビュー30周年、The1975のデビューしてからの活動歴はその5分の1ほど。

つまりファンの年齢層もまったく違うのです。

様々な要因があったにせよ、もはや「“地蔵”になってください」と、運営が”地蔵化推進プロジェクト”でも打ち出しているんじゃないかと思うレベルです。

流れもまったく美しくないし、ストーリーやドラマも一切何も感じません。

この日のオーシャンステージは、それぞれのステージはとても素晴らしいものでしたが、まるで複数の単独ライブを見ているような印象でした。

フェスの存在意義

今年のサマソニ、まず日本人アーティストが多すぎます。

僕が参加した大阪最終日(東京初日)は特にそう感じました。
日本人初のヘッドライナーに加えてこうも日本人アクトが多いと、いよいよ「サマソニとは?」と思ってしまいますね。

(※僕は洋楽が大好きですが、それと同じくらい邦楽も愛しています)

興行的な側面でいえば、邦楽アーティストの数をある程度揃える必要があることは頭では理解していますが、いくらなんでも今年は数が多すぎます。

フジロックに続く世界基準のフェスとして始まったはずのサマソニ。

ここまで邦楽アーティストが多いと、サマソニの存在意義を問われるのも仕方のないことだと思います。

そんな中でも印象的だったツイートがこれ。

洋楽も邦楽もどちらも大好きな自分としてはとても辛い、というか絶望してしまいました。

洋楽と邦楽の壁があまりにも大きすぎる…。

YouTubeやサブスク全盛の時代だから、洋楽と邦楽の壁はなくなった。

なんてことをよく言うけど、ありますね、壁。壁というか溝でしょうか。

洋楽VS邦楽とか、勝ちとか負けとか、もちろんそういうことではないにしろこの差は大きすぎる…。

いち音楽リスナーとしても、フェス好きとしてもこの状況にはさすがに危機感を覚えます。

洋楽と邦楽の間に途方もない隔たりを感じてしまいます。

こんな現状では”地蔵”が乱立するのも当たり前でしょう。

リスナーが悪いわけじゃない

地蔵の存在や洋楽と邦楽の隔たり。

これは、リスナー個人個人が悪いとかそういう次元の話ではありません。というか、リスナーは何一つ悪くない。

(そもそもリスナーを悪者にしてしまった何も始まらないし改善されません。)

これは、20年間という歴史があったにもかかわらずリスナーに洋楽文化を浸透させることができなかった、どころか洋楽離れを防ぐことができなかったサマソニ。

そして、宣伝費をかけられないことをひたすら言い訳にして、リスナーに洋楽を広めることをろくにしてこなかった日本の音楽業界の責任だと思います。

日本を音楽文化のガラパゴスにしてしまったのは、他ならぬ日本です。
(ここでいうガラパゴスは、日本と世界の乖離という意味で悪い意味合いで使ってます)

リスナー、オーディエンスひとりひとりの敬意はもちろん最重要ですが、地蔵という悲しい文化を作り出してしまったのは、個人ではなくもっと巨大な組織や業界だと思うととても悲しいですね。

地蔵問題の打開策

僕個人が考える完全に絵空事です。

洋楽と邦楽の日程を分ける

洋楽と邦楽の日程を完全に分けます。

分けてしまうと、邦楽開催日は同じ月に開催される「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」と差別化できませんが、集客にはあまり影響なないように思います。そこは都市型フェス最大のメリット”行きやすさ”を全面に打ち出せば、「ロッキンにも行ったけどサマソニにも行くよ」という人を一定数見込めるはずです。

もちろん、洋楽同士、邦楽同士でも地蔵が発生することはありますが、おそらく数はグッと減るのではないでしょうか。

タイムテーブル・ステージ割りを徹底する

単にアーティストの知名度のみでステージ割りやタイムテーブルを組むのではなくて、アーティスト同士のつながりや音楽的ルーツを意識したステージ割りやタイムテーブルを徹底すべきです。

例えば、エルヴィス・コステロ→ミスチル、アレキサンドロス→ノエル・ギャラガーとか、安直ですが。

思えば2016年サマソニのサカナクション地蔵やレディオヘッド地蔵って聞いたことがありません。

2017年のベイビーメタル→フー・ファイターズも同様に。

地蔵が問題視されなかったのは、「ステージの流れ」が綺麗だったからに他ならないと思います。

2016年も1017年もまさにその場にいましたが、会場全体がその流れや空気を楽しんでいるように感じました。

フェスのあるべき姿です。

あとがき

2010年代が終わります。

2020年は、日本が再び世界基準で音楽を楽しめる国になれるかどうか、そのラストチャンスだと思います。